遍照院三重塔

遍照院は真言宗の伽藍で,寺伝によると,寛和元年(985) 智空上人の開基と伝えられています。

 三重塔は,従来,永享年間(1429~41)の再建と伝えられていましたが,昭和41~42年にかけて行われた解体修理の際に,応永23年(1416)の再建墨書が発見され,室町時代前期の再建であったことが判明しました。

 この塔は,方三間,総高約21m,本瓦葺で屋根の逓減が整然となされていて屋上に青銅製の相輪をたてています。柱は総円柱で,軒は各層とも二軒繁垂木,組物は和様の三手先となっており,各重とも中央間に板唐戸,脇間に連子窓を備えています。また,初重の縁には高欄はついていませんが,二・三重は組高欄としています。

 木鼻の絵様,板彫式蟇股の意匠などに,室町時代前期の建築様式の特色がよくうかがわれ,均衡のとれたその形態は塔としての品位を示し,端正で美しく,国内有数の三重塔と言えます。

 

種別: 国指定・建造物

所在地: 倉敷市西阿知町

所有・管理者: 遍照院

指定年月日: 大正14年4月24日

大橋家住宅

 大橋家は江戸後期の倉敷において,塩田・新田開発によって財をなした大地主で,大原家と共に「新禄」と呼ばれる新興勢力を形成していました。

 住宅の屋敷構えは大原家とは大きく違っており,旧往来に面して長屋門を有し,主屋が通りに直接面することなく,前庭を隔て門の奥側に配置されている点に特色があります。

 建造物の特徴としては,旧大原家住宅同様,主屋は本瓦葺,厨子二階建てで,1階に倉敷格子,2階に倉敷窓を備え,米蔵・内蔵は土蔵造りで『なまこ壁』を備えており,非常に美しい姿を呈しています。

 往時の新禄層の屋敷構えをよく伝えており,倉敷町屋の典型を示すものとして主屋や長屋門・米蔵・内蔵の4棟が国の指定を受けています。平成3年~7年にかけて,3年4カ月を要した建物の全解体を含む保存修理工事が行われ,往時の輝きを取り戻しました。これによって附指定の「普請覚」のほか,棟札・墨書等の資料から寛政8年(1796)より寛政11年(1799)にかけて主要部分が建築され, その後,文化4年(1807), 嘉永4年(1851)の2度にわたって大改造が行われたことが判明しています。

 そして最も屋敷構えの整った嘉永4年の姿に復元されて一般に公開されており, 格式の高さと地主の繁栄ぶりを伺い知ることができます。

 

種別: 国指定・建造物

所在地: 倉敷市阿知3丁目

所有・管理者: (個人)

指定年月日: 昭和53年1月21日

(昭和57年6月11日 宅地追加指定)

旧大原家住宅

倉敷は,江戸初期以来の幕府直轄地でした。倉敷川の水運を利用して経済力が高まり,江戸後期には「新禄」と呼ばれる新興勢力が台頭し,それまでの「古禄」と呼ばれる世襲の勢力に代って次第に富を蓄え,社会的地位を確立してきました。

 こうした新禄層の屋敷のうち,往時の面影を最もよく留める現存の町屋として,旧大原家住宅と大橋家住宅の2つの町屋が,国の重要文化財に指定されています。屋敷構えは互いに全く異なるものの,主屋等の建造物は両者ともに18世紀末における倉敷町屋の代表的な形式を示しています。

 旧大原家住宅は寛政7年(1795)に主屋の建築が着工され,その後座敷部分が増築され, その先には広い庭が続いています。また,主屋の後ろには蔵が建ち並び, 防火の役目も果たしています。

 主屋は本瓦葺,厨子二階建てで,屋根は一見入母屋造に見えますが,実際には切妻造りで妻側に付庇を設けた庇付き切妻屋根となっています。また倉敷窓,倉敷格子といった倉敷独特の意匠も備えています。蔵は土蔵造りで,外壁は腰に瓦を張りつけ,目地を白漆喰で盛りあげる『なまこ壁』で仕上げられ,そのコントラストは非常に美しく,倉敷の町並みの景観を特徴づけています。

 

種別: 国指定・建造物

所在地: 倉敷市中央1丁目

所有・管理者: 株式会社三楽

指定年月日: 昭和46年3月11日

(昭和57年6月11日 宅地追加指定)

井上家住宅

 倉敷川畔の重要伝統的建造物群の中でも代表的な大型の町屋の一つで、古くから倉敷の中心の通りである本町通り(往還)に面して建っています。部材の仕上げ具合や文書などから、主屋の建築年代は美観地区内では最古のもので、江戸時代の正徳年間(1711~1716)前後と推測されます。

 

 南面二階外壁にある7つの倉敷窓のすべてに土扉が付いているのは、現存する倉敷の町屋としては井上家住宅だけです。倉敷の町がまだ火災に悩まされていた、かつての時代の形式を残していると思われます。また、小屋組の登梁(のぼりはり)形式で束を併用しているなど、非常に古いかたちを採用しています。

 

平成24~29年度まで全解体して保存修理を行っています。

 

種別: 国指定・建造物

所在地: 倉敷市本町1番40号

所有・管理者: (個人)

指定年月日: 平成14年5月23日

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旧野崎家住宅

江戸時代後半,児島半島の南側を中心に広大な塩田開発を行い,「塩田王」となった野崎武左衛門(1789~1864)の居宅で,低い丘陵を背景に長屋門,御成門の門建築が配され,その奥に南北に連なる広大な敷地が画されています。

 

 中央に表書院,主屋を置き,その北側には内蔵,大蔵,書類蔵,道具蔵,岡蔵,夜具蔵が建ち並んでいます。

 

 桁行約26mの堂々とした構えの長屋門を入ると, 踏石を伝って主屋・表書院へ導かれます。表書院は南東面に縁座敷が巡らされ, 淡雅なゆったりとした内部空間を形成しており,その前面には3棟の茶室のほか, 奇石・巨石を組み,松やツツジ,苔を巧みに配した美しい枯山水の庭園が広がっています。

 

 武左衛門の精神が反映された建築群は旧状がよく保存されており,庭園や塩業資料の展示などを含めて広く一般に公開されています。

 

種別: 県指定・史跡

国指定・建造物

所在地: 倉敷市児島味野

所有・管理者: (財)竜王会館

指定年月日: 昭和52年4月8日(県)

平成18年12月19日(国)

熊野神社本殿

 熊野神社は,古くは熊野十二社権現と呼ばれ,社伝によると,大宝元年(701) に紀伊の熊野より勧請し,その後,応仁元年(1467)に兵火によって全焼したと伝えられています。

 明応元年(1492)に再建されましたが,本殿のなかでは最も古く,6棟からなる本殿のうちほぼ中央に位置しており,第二殿」と呼ばれています。

 その後明治になって,神仏分離令によって「熊野神社」として祀られるようになりました。

 建築様式は,正面1間,奥行2間の隅木入春日造で,正面に1間の向拝が取りつき,屋根は檜皮葺で,棟に千木と堅魚木をのせています。また,全体に彩色が施されており,柱・垂木・虹梁・破風などを丹塗りとし,木口に黄土を塗り,板壁や裏板はゴフン胡粉で白塗りされています。

 比較的小さな本殿ですが,室町時代中期の建築様式をよく示しており,破風部分の曲面と二重に仕組まれた垂木配列や正面の吹寄格子が美しく調和しています。

 

種別: 国指定・建造物

所在地: 倉敷市林

所有・管理者: 熊野神社

指定年月日: 大正10年4月30日

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